札幌高等裁判所 平成8年(う)124号 判決 1997年2月13日
本籍・住居
北海道根室市緑町三丁目二一番地
病院経営
石川正勝
昭和五年七月二二日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成八年七月八日釧路地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官林菜つみ出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、主任弁護人笹浪恒弘作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官林菜つみ作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する(なお、主任弁護人は、控訴趣意書第二の一の1の犯罪事実に関する事実誤認の主張は、被告人には脱税の意図がなかった旨の、同第二の一の2の量刑の事情に関する事実誤認の主張は、量刑不当を、それぞれ主張する趣意である、と述べた)。
第一控訴趣意中、事実誤認の主張について
論旨は、要するに、原判決は、原判示第一において、自己の従業員である勤務医小川恵美子が川湯温泉病院の経営者であるかのように装って、小川名義で所得税の確定申告を行うなどの方法により所得を秘匿した(以下「本件」という)、として被告人に無申告ほ脱罪の成立を認めている。しかし、被告人は、医療法で病院の開設者は医師でなければならないとされていることから医療法人の認可を受けるまでの間、従前と同様、病院開設者である小川医師名義で病院としての税務申告をしてきたもので、本件摘発時まで税務当局や顧問税理士から格別問題点の指摘はなく、本件病院の収入を個人的用途に費消したこともないことなどから明らかなように、そもそも脱税の意図(犯意)がなかったから、原判決には、この点において判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
そこで記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
被告人は、捜査段階からほぼ一貫して犯意を含む本件事実をすべて自白し、原審でもこれを認めて何ら争わなかったのであるが、当審に至って突然供述を変え、所論に沿う供述をするようになったものである。その理由として述べるところは、自分としては釈然としないものがあったが、原審弁護人らの強い指導や、あとは控訴審で争えばよいとの助言に従い、本件事実を認めてしまった、などというのである。しかし、これは、病院の経営者等として相当の社会的活動をこなし、また、これまでにも詐欺罪等で裁判を受けていることなどからして、十分に自己を防御する知識・能力があると認められる被告人が、捜査段階から弁護人を選任し、十分な協議を重ねて本件に対応してきたであろうことなどに照らして不自然・不合理である上、本件事実自体に関する供述部分が信用できないこととも相まって全く信用できない。
更に、弁解の内容を検討しても、被告人の捜査段階の供述によれば、被告人が川湯温泉病院を経営するようになった後、病院長の債務につき病院の診療報酬を差し押さえた債権者との民事裁判の経験から、被告人は病院(経営者)の収入と院長の収入の違いは十分知悉していたと認められる上、平成三年三月まで病院の開設者兼管理者であった小川医師の検察官調書によれば、被告人は、本件申告以前、小川医師から、病院経営と病院の開設者又は管理者とは別でよい旨アドバイスを受けていたほか、当時経理を担当していた能崎四郎の検察官調書によれば、本件申告以前、能崎が釧路税務署の係官から、所得税の確定申告は実際に所得を得ている人の名前でしなければならない旨の説明を受けた際、被告人もこれを聞いていたというのである。更に、顧問税理士の事務所で事務に当たっていた猿子匡史の検察官調書によると、本件病院の税務申告では、事務員が提出期限間近に送られて来た書類をそのまま清書するだけであり、また、本件病院の従業員が税務会計関係の相談に来たことも一度もないというのである。これらの供述や他の関係証拠によって認められる本件確定申告の経緯・内容等と対比すれば、本件病院の収入の使途や病院の医療法人化に関する行政指導の如何等にかかわらず、脱税の意図はなかったという被告人の弁解は到底信用できない。
その他所論にかんがみ証拠を検討しても、原判決に所論の事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
第二控訴趣意中、量刑不当の主張について
論旨は、要するに、被告人を懲役一年六月・執行猶予三年及び罰金三〇〇〇万円に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
本件は、病院を経営していた被告人が、所得税の申告に当たり、いずれも医療外収入である入院諸雑費を除外し、架空経費の計上をした上、平成三年分の所得税について第三者名義で確定申告を行い、自らは法定の納期限までに確定申告を行わず、平成四年及び五年分の各所得税について自己の所得を過少に申告した、という無申告ほ脱一件及び過少申告ほ脱二件の事案であるところ、その量刑に関し、原判決が「量刑の事情」の項で指摘する点は、すべて相当として是認することができる。
すなわち、被告人は、昭和六二年に当時の事務長が死亡した後、医師らの意見を聞かず独断専行して、病院経営の営利的色彩を強め、自ら従業員に指示するなどして所得税の不正申告をするようになり、本件各犯行もその一環として敢行されたものである。ほ脱の手段・態様も、収入として捕捉されにくく収益性も高い入院諸雑費を除外したり、実在の人物に対し支払っていない人件費を支払ったかのように装うなどして架空の人件費を計上し、入院諸雑費については、当初、患者からの預かり金と称して隠し口座に振り替えていたのが、平成五年六月からは、新たに別の隠し口座を開設して、患者から直接入金させるようにするなど、次第に巧妙化しており悪質である。本件ほ脱額の合計は一億二〇〇〇万円と高額にのぼる上、平成四年と五年には、所得税の還付まで受けようと種々の経理操作をし、実際、多額の還付金を受領している。更に、これまでの前科等を勘案すると、被告人には法秩序軽視の態度も窺われ、これら諸事情を併せ考えると、その刑事責任は軽視できない。
所論は、<1>架空人件費の計上に関し、本件病院を含む僻地の病院では、医療法の規制などから看護婦資格等の名義借用が広く行なわれているところ、名義人にはいわゆる名義借用費を支払い、その余は実際に就業した准看護婦等に支払っているのであって、原判決の指摘するような趣旨での架空人件費ではない。また、<2>入院諸雑費受け入れ口座の開設についても、医療報酬などと峻別するため開設したものであって、収入除外のための隠し口座とする意図は全くなかった、と主張する。
<1>については、確かに、所論指摘のような僻地特有の事情が存在し、名義人等に相当の支払がなされてたことは窺われるものの、やはり、架空人件費と計上した上での申告は正しい税の申告とはいえない上、関係証拠によれば、右処理も一連の不正申告処理の一環として強く意図的に行なわれており悪質であることに変りはない。<2>も、石川伸弥寿の検察官調書等の関係証拠によれば、これは、従前から行なわれてきた公表外の口座に振り替える事務手続を簡素化するためにしたもので、所論のような意図で開設したものでないことは明らかであり、右口座から被告人が実質的に経営する建設会社に適宜送金がなされていることなど、その実態をみると収入除外のための隠し口座開設のそしりを免れない。
そうすると、起訴後修正申告を行ない本税分の殆どを納付し、延滞税、重加算税なども納付する予定で、原判決後、その支払を担保するため自己の不動産の担保提供手続を申し出、関連する地方税も納付していること、その他原判決が被告人にとって有利な事情であると指摘する点を十分考慮しても、原判決の量刑は、懲役刑の刑期及び執行猶予の期間、更には罰金額のいずれも誠に相当であって、これらが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 油田弘佑 裁判官 渡邊壯 裁判官 髙麗邦彦)
控訴趣意書
被告人 石川正勝
右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は次のとおりである。
平成八年九月一三日
弁護人 笹浪恒弘
同 笹浪雅義
札幌高等裁判所刑事部 御中
第一 原判決の認定事実について
一 原判決は、被告人につき、同人は北海道川上郡弟子屈町字跡佐登七六番地において、川湯温泉病院を経営するなどしている者であるが、自己の所得税を免れようと企てたとしたうえで、【犯罪事実】の第一で無申告ほ脱の事実として次のとおりの認定をしている。
即ち、「…自己の従業員である勤務医小川恵美子が川湯温泉病院の経営者であるかのように装って、小川名義で所得税の確定申告を行なうなどの方法により所得を秘匿した上…」というものである。
二 また、【量刑の事情】部分においても、ほ脱の手段について「…架空の人件費を計上するため、実在の人物に対して支払っていない人件費を支払ったかのように装った」、あるいは、「収入除外のために開設した隠し口座に…(入院諸雑費を)直接入金させるようになるなど次第に巧妙化している」とし、被告人の刑事責任は「到底軽視」できないと認定している。
第二 事実誤認について
一 右第一の認定部分については、次の理由により明らかに誤認である。
1 医療法は、病院の開設者は医師でなければならないとし、本件川湯温泉病院では医療法人の認可を受けるまでの間(いうまでもなく認可されれば法人自体での税務申告が可能である)、従前の申告と同様に病院開設者である医師の小川恵美子名で病院としての税務申告をしてきた(小川は平成元年から、それ以前もその都度の開設者である医師名で)。
右処理については、本件摘発時まで税務当局からも顧問税理士からも格別の問題点の指摘はなかった。かえって小川が退任後、後任の稲葉院長が就任するまで病院としての申告・収支の帰属をどのようにするかを顧問税理士に相談したところ、同院長は平成四年度の一〇月頃就任し平成五年度の年度途中で死去したため、同税理士の指導に従って被告人名で申告したものである。それ故に、稲葉の後任である伊藤医師就任後は再び開設者である同医師名で申告したものである(なお、本件摘発後平成元年度から平成七年度までいずれも被告人名での申告に修正させられた)。
被告人は、本件病院の収入を自己の個人的用途に費消したことはなく、むしろ明確に区分していたものであるし、小川名義での病院収支の申告も自己の所得を秘匿すべく仮装したものでないことは明らかである。
2 次に、人件費の支払についても「実在の人物に対して支払っていない人件費を支払ったかのように装った」ものではなく、これも医療法上病床数・患者数に応じて、雇用している看護婦等の数が規定されており、その規制を満たすためには看護婦資格の「名義を借用」することが広く行なわれており(ことに本件病院所在地のごとく「僻地」の場合は有資格者を規定どおり雇用することは困難である)、名義借用者に賃金を支払った外形(同人名の銀行座等に送金)をとって、同人にはいわゆる名義借用費を支払い、その余は有資格者の代わりに実際に就業した准看護婦に支払ったものであり、(もちろん推奨されることではないが)これも僻地病院経営と医療法の規制との狭間での緊急避難的所為であり、決して原判決が認定したような趣旨での「架空の人件費」ではないのである。
また、入院雑費受け入れ口座の開設についても、「収入除外のための隠し口座」ではなく、むしろ医療報酬などと峻別するために意図的に開設した口座である(そもそも別口座を開設しただけで隠し切れるものではない)。
以上の主張を斟酌されて、被告人の社会的制裁にかかわる事実誤認をただし、いささかなりとも名誉を回復されたく審議をお願いする次第である。
以上